あなたの香りがして △
仕事にならな…くなくなくない*捏造たっぷり*オリキャラ注意



「このデザインは、カツヤの案か」
「はい。既存商品とロゴデザインをシンクロさせ統一感を持たせつつ、フォルムとカラーを一新し差別化を図ります」
「ここのラインまで、フレーバー別のカラーが入るんだね」
「全体を別の色にしてしまうと同一商品であることが分かりにくいので、部分的にとどめました」
「デザインチームの意見は?」
「とてもいいと思いますよ。ただもう少し派手な色使いでもいいんじゃないかな」
「確かに控えめな感じだね。カツヤ本人と同じだ」
「そっ、そんなっ……」
「ケリーの派手派手デザイン案と足して二で割るとちょうどいいんじゃない?」
「いや、まずケリー案を半分に割ってから足さないとバランスが取れないよ」
「ずいぶん喧嘩売ってくれるじゃないのっ!」
 シカゴにきてから三ヶ月。赴任直後から参加したエナジードリンク開発のプロジェクトは順調だ。
 先の出張でも関わっていたプロジェクトということもあって、プランにも、人間関係にも問題なくスムーズに入り込めた。
 言葉の壁は多少あるものの、通じないからと遠慮していれば、いないのと同じようにあっという間に埋もれてしまう。語弊にだけは気を付けて、文法がおかしくても拙くてもなんでもとにかく発言して強く自己主張しなくてはいけない。
 自分を前面に押すというのは克哉が最も苦手とするところだが、つい身を引きそうになる都度、なんのための出向かと思い出して己を鼓舞する。
 世界的企業のアメリカ本社で、商品開発のプロジェクトメンバーとして意見を述べ目まぐるしく働く日々。オレなんかと俯いていた頃の自分からは想像もできない。
 ほんの数年で、克哉は変わった。きっとこれからも変わっていく。変わらなければならない。
 もっと高みを目指すべく。もっともっと強くなるべく。あなたと同じ場所に立つために。
 ほんの少しのことが、たった一人の人が、克哉を変えていく。
「──というわけで、以上は次回ミーティングまで修正をよろしく」
「了解」
「はーい」
 日本であれば数時間を要するミーティングも、こちらでは長くとも一時間程度で終わってしまう。日本が無駄な時間を過ごしているとか、こちらが適当に切り上げているとかではなく、ミーティングの考え方が違うのだと克哉は思う。
 持ち寄った意見を元に全員で根を詰める場の日本と、持ち寄った意見をまとめる場で根を詰めるならあとは個人でどうぞなアメリカと。どちらがいい悪いではなく、どちらも一長一短だ。
「カツヤー、ちょっと一服しない?」
 ミーティングが終わって真っ先にそう隣から声を掛けてきたのは、オフィスでも隣合っているニコラスだ。
 面倒見のいい彼は、先の出張から克哉にいろいろと気を遣ってくれていて、よく世話になっている。
「うーん、せっかくだけど、今ちょうど案が浮かんでるから、先にまとめちゃうよ」
「ええ? あとでもいいだろう?」
「思いついたうちにやっておかないと忘れちゃうんだよ。要領悪くてさ」
「何言ってんだ。お前が要領悪いんじゃ、俺の要領なんて存在しなくなるよ」
「煽てるなよ」
 軽口を交わして、ほどほどになと軽く背中を叩き、ニコラスはメンバーを唖然とさせるほど派手なデザイン案を提示したケリーをからかいながらミーティングルームから出て行く。
 それを苦笑して見送り、うんっと伸びをして小さく気合を入れ直す。
「よっし! やるぞー!」
 体を伸ばした反動のまま、低反発が心地いいオフィスチェアから立ち上がった瞬間。
「あ──」
 ふわり、と、克哉の体からほんのわずかに匂い立った芳香が、鼻先をくすぐった。
 あと二時間ほどで定時刻の今時分にはすっかり克哉の体臭と混じり、慣れ親しみ馴染んだものとは少しだけ違う甘い香り。

『あの……ひとつ、お願いがあるんです』
『女々しいのは分かってるんですけど、でも』

『──しかし、そんなことをしたら、君は……』

『だっ、大丈夫です! そんな、あの頃とは、違います、から……』

『ふうん?』

 からかって眉を上げた、意地悪な顔を思い出して頬が熱くなる。
 克哉の願いを、にやりと笑って、でもどこか照れくさそうに聞き入れてくれた愛しい人。
「孝典さん……」
 呟いた名が、胸の奥をあたためる。
 離れたくない。それは克哉も、御堂も同じ思いだった。克哉もずいぶん悩んだけれど、御堂も悩んだと知って嬉しかった。
 けれどもきっとこの先、また離れてしまうことは何度もあるはずだ。今度は御堂がどこかへ出向になるかもしれないし、半年程度ではなく年単位の話かもしれない。
 そのたびにいやだいやだと言っていられないし、乗り越えて、消化して、身に刻むことは、もっと先に続く、二人の未来のためにも、克哉の人生そのもののためにも必要なことだから。
 だが寂しさはやはり消せない。だから日本を発つ前に、御堂にねだったこと。離れていても、あなたを感じていたい。
 女々しくて恥ずかしいとは思った。それでも、どうしても、御堂の証が欲しかった。
 そっと襟元に顔を近づけると、御堂が長年愛用しているというパルファンが、克哉の首筋から柔らかくほのかに香る。
 抱きしめられるといつも克哉を満たす御堂の香りとは少し違うけれど、同じムスクの落ち着いた香調。
 付き合い初めの頃、御堂からシャツを借りたことがあった。
 何気ない貸し借りだったはずが、自分から漂う御堂の香りに惑わされ、その日一日仕事が手につかなかった。
 それどころか、仕事中にも関わらず、我慢ができなくて、会社で──。
 あの頃とは違うと言ってみたものの、実際こと御堂に関しては、自分は何も成長していない気がする。
 ふとした時、自分から御堂の香りがすると、一瞬ざわりと、体の奥底が騒ぐことがある。
 いや、そこでなんとか宥めて抑えられているのだから、一応成長していると言えるのかもしれない。
「どんな成長だよ、それ」
 オレって情けないと、自嘲して笑う。
 だって仕方ない。愛しい人を想えば、理性が飛んで、情けなくて、弱くて、どうしようもない人間になってしまうのは、誰しも同じだから。
 だからこそ支えあうために、強く、逞しくならなくてはいけない。
「オレは少しでも強くなれてるのかな。孝典さん」
 左手に視線を落として問いかけると、まるでそれに答えるかのように、薬指で鈍く光る白金が、きらりと反射した。
 なんだか嬉しくて、切なくて、愛しくて、涙が出そうになった。

『これを、君に』

『──! 孝典、さん』

『君が女々しいというなら、私も女々しいな』

 耳まで赤く染めたあの時の御堂を、克哉は一生忘れない。
 忘れない一瞬をこれからも永遠に重ねていくために、今この時を、確実に歩んでいく。
「あれ、カツヤなんでまだいるんだ?」
「え? あっ」
 休憩を終えたニコラスが不思議そうに呼んで、はっと我に返る。つい自分と御堂の世界に入ってしまった。
「いやっ、なんかっ、ぼーっとしちゃってっ」
「大丈夫か? 真面目なのはいいことだけど、詰めすぎるのはよくないぞ」
「大丈夫大丈夫。ありがとう。あ、オレも一緒に戻るよ」
 慌てて資料をまとめて、ミーティングルームから出る。
 ニコラスがカツヤにと持ってきてくれたコーヒーを礼を言って受け取って、席に着く。さっき浮かんだ案はまだ頭の中に残っていてほっとした。
 あと三ヶ月。発売までいられないのは残念だけど、よりよい製品にするために、残りの期間も全力で取り組まなくてはならない。
「クリスマス休暇は、日本に帰るんだろ?」
「うん」
「じゃあそれまでもうひと踏ん張りで、あとはのーんびり、家族と過ごしてこいよ」
「うん。ありがとう」
 MGNが気を遣ってくれたのか、イブから元旦まで一週間あまりを、クリスマス休暇として特別に設定された。
 御堂の誕生日には帰国できたが、とんぼ返りでゆっくりはできなかった。
 実は克哉に合わせて御堂も長い有休を取って、クリスマスから克哉の誕生日まで、二人でゆっくりと過ごす予定だ。普段働きづめの御堂部長が一週間の休みを取ることは、むしろ他の社員からは歓迎されたらしい。なんとなく想像ができる。
 会えたらまずなんと言おう。ただいま、か。会いたかった、か。御堂はなんと言ってくれるだろう。早く会いたい。
 休暇までしっかりと働いて、あとは二人きりでのんびり──できるのだろうか。
 御堂と過ごすのんびりとはできない休暇の想像がふと頭を過ぎって、無意識に熱くなる。
 穏やかな午後のオフィスで思い浮かべるには、およそ似つかわしくない卑猥な想像。
 体温が一気に上がったせいか、首元から強く香ったムスクの甘さに、克哉はひそかに唇を噛んだ。
2013.06.13