その先もずっと ~キチメガプチR鬼畜眼鏡5周年記念~ □
キチメガプチRオンライン企画お題その1『5年目のエピソード』*←正確には“5年目”ではない…*地雷注意!*オリキャラ注意



 そこには樹齢何百年という大きなイチョウがあって、冬の初めに葉が黄金に色付くと、たびたび観光客も訪れる知る人ぞ知る紅葉の名所だ。
 孝典さんのご両親がそこを選んだのは、いろいろと付き合いがあったのと、その大イチョウが昔から気に入っていたからだと聞いた。
 初めて孝典さんに連れられて行った時、すごいぞ、とは聞いていたものの、実際に目にした金色に輝くその圧倒的な生命力に思わず涙が出て、孝典さんを驚かせてしまったことを思い出す。
 それからは毎年紅葉の季節になると必ず足を運んで、今年の色付きは一段と見事だとか、新しい芽が出ていますよなどとゆったりとイチョウ狩りを楽しむのが恒例になった。
 先週見た時には今年もよく色付いていたから、冷え込みが強まったこの一週間でさらに濃く煌くばかりに色付いているだろう。
 早く行って、その美しい御姿を今年もあなたと見たい。


 まだ藍色に包まれた、早朝のぴんとした空気が頬を差す。
 いつもは送ってもらったりタクシーを使って楽をするけど、今日だけは歩いて行く。
 それなりに距離があるし、緩やかだけど長い坂道もあるからちょっと大変だ。
 段々と闇が薄れていく街中を歩くのは、なぜだかちょっとわくわくしてしまう。
 散歩する時もここまでくることはない道を改めて歩いてみると、車で通り過ぎるだけでは気付かない小さな変化を見つけたりして楽しい。
 庭先の紅葉する木々を眺めたり、通りすがりの猫と戯れたり、そうして休み休み歩いて、すっかり明るくなって朝の生活音があちこちで聞こえる頃に、ようやくそこに辿り着いた。
 少し疲れたけど、体も温まって、ちょうどいい運動になった。
「わー、すごい」
 大きな門をくぐって、まず目に飛び込んできた大イチョウは、やっぱり先週よりもよく色付いていて、その見事さに思わず声が出る。
 太陽の光を受けて眩しいばかりに輝いて、何年経っても見飽きることも畏敬の念がなくなることもない。
 この木は何百年と、この地でずっと、ここに生きる人々と街を見続けてきたかと思うと、それだけでなんだか感動してしまう。
 そしてこの先何百年、もしかしたら何千年と、この場所で、同じように人々を、街を見守っていくんだ。
「あ、感動してる場合じゃなかった」
 つい見惚れて長く佇んでしまった。いつの間にか時間間近で、遅れたりしたら孝典さんが拗ねる。
「君は私よりも、その大イチョウに会いにきたんじゃないか? なんて。ふふ」
 あの人のやきもちの対象は、男女動物有機物無機物、そんな区別が全くないから困る。
 いくつになっても変わらずに、君は自覚が足りないとか、そうやって無防備にとか、何千回といやいや何万回と言われたのか分からない。
 頭では分かっていても、どうしてもそういう感情が湧くんだから仕方ないだろうと開き直って。
 だって君を、心から愛しているから。
 そんなことを言われれば、オレは何も言えなくなってしまう。
 あなたは本当にずるい人だ。

『なんだ、ずいぶんと悪口を言ってくれるな』
 区分けされ、石畳がきれいに整備された小道を辿ると、孝典さんが迎えてくれた。
 先週もちょっと寄ったんだから、久しぶりってことはないけど、それでも離れた期間は寂しくて、会えて嬉しい。
「悪口じゃないですよ。愚痴です」
『同じじゃないか』
 なんの変哲もない、いつものやり取り。日常的な、いつもの戯れ。
「イチョウ、きれいですね」
『ああ、今年も見事だ』
「今が一番いいですよ。あんなきれいな紅葉をここから毎日見てるなんて、ずるいです」
『そこをずるいと言われても、お門違いだ』
 呆れて苦笑する顔が浮かぶ。
 全く君は、と眉を下げて、優しい目でオレを見てる。
 いつものやり取り。いつもの戯れ。いつものあなた。
 ここにいる、この場所にいる、オレの孝典さん。


「克哉さん」
「ああ、翔太くん」
 ここにきてから一時間くらい経っただろうか。孝典さんのご両親にも挨拶をして、掃除をして、また孝典さんと語らっていたら、声をかけられた。
 彼は孝典さんの従兄弟の子供で、当然子供のいないオレたちの面倒を見てくれていたり、昔からずいぶんとお世話になっている。
 小さい頃から孝典さんに憧れていたというこの子は、まるで本当の息子のように、何から何までよくしてくれて、いくら感謝してもしきれない。
「お邪魔しました?」
「ううん。もう十分語らいました」
「そっか。よかった」
 にかっと、子供のような笑顔を向けられると、自然と頬が緩む。
 いつまでも子供扱いしてはいけないけど、この人懐っこい笑顔だけは昔と何も変わらなくて、かわいいままだ。
「ごめんね、こんな早い時間に寄ってもらって」
「とんでもない。俺がきたいんだから」
「うん。ありがとう」
「夜お宅に伺うの、孫らも行きたがってるんですけど大丈夫ですか?」
「もちろん! 嬉しいよ。お待ちしてます」
 ある程度片付けて、さて、と向き合う。
「またきますね、孝典さん、お義父さん、お義母さん」
「なんだ、もう行くのか。もう少しいてもいいじゃないか、克哉」
「翔太くん」
 孝典さんを真似る彼に苦笑すると、いたずらっ子のようにぺろりと舌を出す。
 孝典さんと従兄弟は、顔立ちは似ていないけど声が似ていて、その息子であるこの子にもどことなく孝典さんの声音を感じるから、ただのおふざけだけど、それでも胸の底に温かいものが落ちる。
「そのうちオレもずっといることになりますから」
「まだまだ先ですよ」
「そうかな」
「そうです」
「ふふ、頑張ります」
 そう言ってくれる人がそばにいることは、すごくありがたい。
 頑張ってどうにかなることなのかは置いといて、その通りになるように気を付けていかないといけない。
 もういつ何があるか、分からないから。
「ええと、四柳先生のとこに寄るんですよね」
「うん。きたいって言ってたんだけど、忙しいらしくて」
「すごいですよね。こんなこと言っちゃ失礼だけど、あのお歳で現役でらっしゃるって」
「それはご本人も言ってたよ。僕は死ぬ気がしないって」
「ぶっ。確かに。それを言ったら、本多さん。あの人またこの前テレビ出てましたよね」
「わざわざ電話かかってきたよ、見ろよって。今でも腹筋五十回が日課って、あいつ化け物だよ」
「タフですよねー。ほら、克哉さんもやっぱりまだまだ」
「あそこまではいいよ。次元が違う」
「ははっ。今日は本多さんもくるんですか?」
「うん。夕方前にちょっと顔出すって。会うの久しぶりだからね。楽しみ」
 どれくらいの付き合いになるのか、すぐには思い出せないくらい古い付き合いの友人。
 彼らもまた、そばにいてくれてありがたいと思う人たちだ。
 オレと孝典さんは、そんな何にも代えられない大切な人たちと一緒に、ずっと歩んできた。
「五年なんて、あっという間ですよね」
 大イチョウの前で立ち止まって、彼がしみじみと呟く。
 あれから五年。五年なんて歳月は、比喩じゃなく、本当に昨日のことのように思える。
「いつの間にか二歳差になっちゃった」
「あ、それうちの母親も同じようなこと言ってました。うちの両親、三つ違いだったから、今年同い年だって」
「なんか切ないんだよね。年上になるのかなー」
「ええ、なってください、ぜひ」
 彼は力強く頷いて、ガッツポーズなんかもする。
 七歳差。若い頃は、少し離れているという感覚だったけど、歳を取るごとにそうでもなくなっていったのが不思議だ。
 どうせ歳を取ればみんな、『年寄り』というなんとも大雑把な同一の括りに分けられるのだから、当然なのかもしれない。
「来年はどうします?」
「ああ、そうだね……」
 来年、と考えた時、ふいにざっと風が吹く。金色の葉の一枚一枚が、風に揺れてさらに輝きを増して、美しすぎて怖いくらいだ。
 来年の今頃も、この木はこんなふうに美しく色付いているんだろう。
「七回忌だからね」
 独り言のように小さく呟いた言葉が、自分の胸に刺さる。
 あなたと離れている年月を、オレはこうしていつまで数えていられるのか。
 来年なんて話をしてるけど、もしかしたら来年の今日には、あなたのそばにいるのかもしれない。
 頑張る、気を付ける、まだまだ。孝典さんもその時まで、よく言っていた。
 若い頃は、あなたのいなくなった世界なんてなんの意味もないと、その時を怯えていたような気がする。
 でも、さすがにその時がいつきてもおかしくない年齢になると、お互いにいつでも離れてしまう覚悟はできていた。
 いやがっても、足掻いても、生きている以上は絶対にくるその時。生きているからこそくるその時。
 あなたが連れて行かれたあの日。五年前の今日。
 心はずっとそばにいる。そうは言っても、もうあなたはオレを見てくれない。触れてくれない。抱きしめてくれない。キスしてくれない。
 御堂孝典という存在は、どこにもない。
 覚悟はできていても、やっぱり気が狂いそうで、辛くて、悲しかった。
 でもオレの周りには、残されたオレのそばに温かく寄り添ってくれるたくさんの人がいた。
 オレとあなたが同じ人生を歩んできた中で出会った、かけがえのない人たち。
 オレとあなたが一緒に生きてきた証。財産。
 二つの人生が一つになって、他のいろんな人生と重なって、交わって、繋げてきた命。
「御堂のほうにも聞かないと」
「いや、克哉さんに一任ですよ」
「そう? まあ、呼ぶ人も段々いなくなってきちゃってるからね……」
「年寄りばっかでほんと……」
 溜め息をついてがっくり肩を落としたあと、顔を見合わせて噴き出して、笑い合う。
 あの人がいない。この人がいない。あなたもいない。オレもいつか。
 でも、オレたちがそうして生きてきたことは、決してなくならない。
 体がなくなっても、オレたちのことを誰も知らなくなっても、目に見える全てが消えてしまっても、オレとあなたが、大切な人たちがここにいたことは、溶けて、混じり合って、歩んできた道筋のような大きな根を下ろす。
 覚えていなくてもいい。知らなくてもいい。
 ただ、あの時と同じように、今この時と同じように、この先ずっと、この場所で変わらず金色に煌く命があるなら。それを誰か一人でも見ていてくれるなら。
 オレたちが同じ時を一緒に生きていたという確かな事実は、永遠にここにあり続ける。



 ∞あとがき∞ 
2012.09.28