克哉=眼鏡、<克哉>=ノマ
午前三時。体がだるい。なぜだろうと克哉は思う。
ベッドに入ってから三時間ほどの、まだ夜明け前のこんな半端な時間に目が覚めてしまったからか。
それとも、この二、三日、開発資材の調達を巡り、一室と購買部が衝突したり仲直りしたり協力して奔走したりした疲れのせいか。
いや、元より睡眠時間の短い克哉は、三時間も眠れば肉体的疲労も精神的疲労もすっかり回復するし、トラブルも円満に解決してむしろすっきりしているくらいだ。
ではこの体のだるさは何か。
体のだるさ、というより、もっと正確に分かりやすく言えば、下半身のだるさだ。
それならばすぐさま思い当たる。
克哉の腕の中には、寝息も聞こえないほど静かにぐっすりと眠る半身が収まっている。
背中から抱きしめたその体を起こさないように気持ち強く抱き直し、首筋からうなじ付近に鼻を埋めて自分と同じにおいを深く吸い込むと、だるさが一層強調される。
昨夜というか今夜は、この半身と体を合わせていない。
本当は毎日毎晩たっぷり抱いてやりたいが、そうすると<克哉>は仕事にならないと怒るし、克哉も実は正直に言うと結構しんどい。
結局はひとつの体というのは、なんとも歯痒いものだ。
そんなわけで、発散されなかった行き場のない熱が下半身、主に一部分に溜まり、えも言われぬだるさが克哉を蝕んでいる。
眠りに就く時には過度の接触は避けて、お互いどことなくもそもそしていたが、仕事の疲れもあってかすぐ寝息を立て始めた<克哉>を僅かばかり憎らしく思いながら、克哉もなんとか穏やかで心地好い波の中に身を投じたというのに。
悶々とする克哉とは逆に、微動だにせず無防備に眠る<克哉>の腰に、いつの間にか形となって現れ始めていた熱をぐっと押しつけてみる。
「……」
「……」
<克哉>はそんなことには一切気付かず、変わらずよく眠っている。
「……」
これ以上いたずらを続ければ、我慢できなくなって寝ていようが関係なく犯して事後<克哉>にぴーぴーうるさくされるだろうから、もう一度においを吸い込んできゅっと抱きしめてから、絡めていた腕と脚をそっと解いてベッドから抜け出す。
離れてみてもいまいち落ち着かないが、自分で処理をするほどではない。
冷蔵庫からミネラルウォーターの二リットルのペットボトルを取り出すと、もうコップ一杯程度しか入っていなかった中身をそのまま直接呷って飲み干す。
喉を下るひりつく程の水の冷たさが、火照った全身と頭の中も冷やす。
ソファに腰掛け完全に落ち着いてから寝室に戻ると、寝返りを打ったのか、<克哉>が先程とは逆のほうを向いていた。
「……」
なんとなく、克哉が<克哉>を後ろから抱きしめて眠るのがお決まりになっていたが、たまには向かい合わせもいいかと正面に潜り込む。
常夜灯の薄明りに浮かぶ半身の無垢な寝顔に、せっかく鎮まった湿った熱がぶり返してきそうになって、これは失敗したと思うが、何度もベッドの上でごそごそして起こしてしまっては悪い。
お前はドMだがある意味ドSだなと苦笑して、滑らかな頬をそっと撫でた。と。
「!」
よく眠っていたはずの<克哉>が、いきなりぱちっと目を開いた。
「ああ悪い、起こし、っっ!!」
やっぱり起こしてしまったかと謝りきらないうちに、<克哉>にがばっと押し倒されて、勢いよく唇を奪われてしまった。
あまりにもいきなりのことに驚いて抗っても、かなりの力で両手で頬を挟み込まれ肩を押さえこまれて、為す術がない。
「っ、っ」
行動が理解できず動揺する克哉のことなどお構いなしに、<克哉>はじゅうううっと痛いくらいに唇を吸い込んでいる。
「っ! お前っ!」
コルクが瓶から抜けるような音を立てて唇を離した半身に怒鳴ると、目の前の同じ顔がにぱっと笑った。が、そのまま枕の上に倒れ込んで、何事もなかったかのようにすやすや寝息を立ててしまった。
「なっ……」
寝ぼけていたのかなんなのか分らない。ただ、克哉の唇はあまりにも強く吸い込まれたせいでじんじんと痛んでいる。
唇の痛みに呼応して、先程からつれなく放っておかれていた分身も、あっという間に痛みを持つ。
「お前は……」
人が気を遣って我慢してやってるのに。
煽ったのはお前だ。覚悟しろ。とその肩をシーツに押し付け覆い被さろうとすると。
「んー……<俺>ぇ、だいすきぃ」
眠ったままの半身が、口元をむにゃむにゃさせて、ふふふと笑った。
「……」
自分と同じ顔とは思いたくない程だらしのない間抜けな顔と、素直な甘い寝言に一気に毒気が抜かれた。
仰向けにした肩に額を付け、盛大に溜息を吐くと、だめだってぇ、<俺>ぇなどと言いながら、半身がまたふふふと笑う。
その台詞は最中にはよく耳にするが、そんなにでれでれと言われたことはない。夢の中の克哉と<克哉>は、随分甘く穏やかな関係らしい。
もうひとりの自分の夢の中のもうひとりの自分に若干の嫉妬心を覚えないわけではないが、半身が夢でも幸せならまあいい。
緩んだ唇をちょんとつつくと、薄く口を開けて指を咥えようとする。意地悪く指を離すと、うーっと唸りながらしょんぼりした顔をする。
その顔がかわいそうでかわいくて、意地悪のお詫びに軽く唇を吸ってやると、今度は蕩けそうに表情が綻んだ。
欲を訴える分身はまだ熱を持って痛む。だが、今はこのかわいい半身に免じて知らないふりをしてやる。
肩をそっと抱き起こして、腕の中にその体を収める。頬に唇を落とすと、<俺>……と小さく呟いた。
今は、今は我慢してやる。だから、朝になったら覚悟しろよ。
少しもおさまらない下半身のだるさと葛藤しつつ、数時間後の淫靡な朝に思いを馳せた。
under the darkness △
2012.05.20