ハッピー・ハッピー・クリスマス ☆
初めに→こちらをどうぞ*2007年の暦で進行しています*オリキャラ注意



──12月21日 金曜日──

 先月の終わり頃から、今月に入ってからはさらに、この日本においてはいつの間にか恋人たちのためのものになっているビッグイベントに向け、独り身の社員たちは躍起になったりふてくされていたり、なんとも落ち着かない雰囲気が漂っている。
 特に俺の、いや、佐伯克哉の周辺では、そのざわめく気の流れが集約されているようだった。
 仕事中にやたらと熱い視線を感じるし、休憩中は気付くと女性社員に囲まれている。
 相手がいることを匂わせてはいるものの、どんな人かと深く聞かれても曖昧にしか答えないから、相手と言ってもまだ恋人未満の段階なのか、もしかしたら女性避けのポーズなのかもしれないと都合よく捉えて、自分にもまだチャンスがあるはずとアプローチをしてくるポジティブで積極的な女性は案外多い。
 想い人は自分自身。と言えば、頭がおかしい奴だと思って諦めてくれるんだろうか。
 普段は水面下で牽制し合って、『かわいくてかっこいい佐伯くん』を共有することで社内平和を保っている彼女たちだが、多忙な年末の中せっかくの僅かな暇を惜しまず、いよいよ本気とばかりに攻め込んできた。
 だが鈍い半身は気付かない。
 色恋に関してここまで鈍くはなかったはずだが、だって<オレ>の恋愛センサーは俺にしか向けられていなくて他人なんて眼中の端にもないから、という思わずにやけてしまう事実が原因だから、無防備に言い寄られる<オレ>に苛立ちを覚えつつも気分はいい。
 まあそれを踏まえたにしても、<オレ>にはもう少しいろいろと自覚を持ってもらいたいと切実に願っている。
 幸い最近はプロジェクトの関係もあって俺が表に出ることが多く、クリスマスは予定があると早々にはっきり明言して誘いの一切を断り続けてきたおかげで、ぎりぎりまで粘っていた幾人かもやっと諦めて、なんとかこの週末は落ち着きを取り戻したのだった。
「佐伯くん」
 おっと。そうだ、まだこいつが残っていた。
「はい」
「終わりか」
「はい。なにかお手伝いすることありますか?」
「いや、そうではなくて、その……」
「……? 御堂部長?」
 もじもじと、大の男が頬を赤らめたってかわいくもない。
 今日は<オレ>が提案していた販売戦略についての打ち合わせがあったから、終日眼鏡を掛けず<オレ>が業務をこなした。
 眼鏡を掛けていないと知って、定時後のこの時間まで声をかける機を虎視眈々と狙っていたのかと思うと、上司といえど失笑を禁じえない。
 この上司は初対面からほぼ一年、ずいぶん印象が変わった。
 初めて会った時は、絵に描いたようなプライドの高いエリートの様相だったのに、今となっては、優秀でかわいい部下に夢中で振り向いてもらおうと必死の情けない男にしか思えない。
 業務上だけを見れば、さすがこの年齢で一流企業の部長まで上り詰めただけのことはあると思わせる、尊敬できるいい上司なのだが。
「クリスマスは、何か予定はあるのか」
 ずばり直球ど真ん中だ。
 御堂は今月初めからずっと出張や出向続きで、今週やっと企画開発部に戻ってきた。
 戻ったら戻ったで、不在の間に溜まった、代理できない業務の処理に追われ、執務室にこもりっきりになった。
 だから予定があると宣言した事情も知らないだろうし、迫ってくるかもしれないと予測できたはずなのに、これだけ忙しければそれどころではないと油断していた。
 まったくエロオヤジの煩悩を甘く見てはいけない。
 ここはひたすら、この鈍い半身が絆されずにうまく逃れるのを祈るしかない。
「クリスマス、ですか」
「ああ。当日は平日だが、イブまでは三連休だし、どこかに行くとか、誰かと……過ごすとか」
 これだけ分かりやすく態度で示しているのに、意識もされていないのは、同じ男を想う身としては些か不憫ではある。
「クリスマスは、クリスマスイブは、あの……」
 からかわれるかもしれない。いや、御堂さんはそんなことしない、と<オレ>は一瞬言い淀んで、先日思い立った計画を打ち明ける。
「家で、ケーキを、作ろうかと」
「…………ケーキ?」
 思いもしない返答に、御堂はぽかんとおうむ返しする。
「はい。作ったことはないんですが、挑戦したいなーなんて……はは」
「……」
「……あの、御堂部長?」
 予想外の返答を脳内処理中なのか、御堂は思案めいた表情で視線を彷徨わせている。
 何を考えているんだ。まさか、では一緒になどとふざけたことをほざかないだろうな。
 <オレ>は俺とケーキや夕食を作って、俺と食べて、そして最後は「プレゼントは……<オレ>だよ」と恥じらいつつもそれはもう濃厚で目くるめく性夜を過ご
「あ、よろしければ、召し上がりますか?」
「なっ!?」
 御堂の驚きと、俺の驚きがシンクロした。
 お前は、何を言ってるんだ。自分の言っている意味が分かっているのか?いや、分かってないから言ってるんだこいつは。本当にこの無自覚はどうにかしてほしい。
「失敗したらお渡しできませんけど、うまくできたら」
「さ、佐伯くんの、手作りをか……?」
 御堂がごくりと喉を鳴らす。この変態め。
「はい……はっ! すみません! 手作りなんて、失礼ですね!」
「えっ? あ、いや」
 お?
「変なこと言いました! 忘れてください」
「いや」
 御堂の反応を、引いたんだと勘違いしたらしい。たまには鈍いのもいいほうに働く。
 ハイソな御堂部長に手作りケーキなんてなんてことを! と内心で慌てている。おい、ハイソって久しぶりに聞いたな。
 危うく、<オレ>の手作りケーキが変態部長の手に渡るところだった。冗談じゃない。
 すっかり恐縮して提案を却下した<オレ>に、御堂はなんとか手作りケーキをプレゼントの方向に引き戻そうと言葉を探しているようだが、完全に勘違いしている<オレ>はケーキの話題は遠ざけてこの場を取り繕おうと頭をフル回転させている。
「さえ、」
「あっ、御堂さん、御堂部長、御堂部長はっ、クリスマスはどう過ごされるんですか?」
「んあ、私、か」
「せっかくの三連休ですし、ずっとお忙しかったからゆっくりできるといいですね」
「……そうだな。なんなら、佐伯くん」
「はい?」
 んん? せっかくいいほうに行ったのに、余計やばい流れになってないか?
「……君と」
「?」
「君と、過ごすのも、い」
 あーあーあー。
「佐伯さーん」
「!!」
 あともうひと息のところで突然背後から響いた声に、御堂が体を跳ねさせた。
「あれ、桑原さん」
 ひょろりとした体系の男が手を振りながら歩み寄ってきて、へらへら笑うその姿が俺にはまるで救世主のように見えた。
「くわばら……?」
「あー、お疲れ様です、御堂部長。初めてご挨拶します、経理の桑原といいます」
「経理の……ああ、顔は、見たことが」
「はい。何度かお目にはかかってるんですが、ご挨拶が遅れて失礼しました」
「いや」
「御堂部長とお話しできるなんて光栄ですー」
 どこか気の抜けた喋り方と、人当たりのよさそうな目尻を下げた表情に、御堂の肩に入った力が抜けたのが分かる。
 この桑原という男は、一見緩くて浮ついた人物のようだが、本質はかなり感が鋭くなかなか食えないやつだと俺は思っている。
「佐伯くんと知り合いか」
「はい、飲み会で何度か一緒になって。ね」
「そうなんです。同い年ってこともあって、親しくさせてもらってるんです。あ、何か用だった?」
「ああうん。つい声かけちゃったけど、今、大丈夫だった? 失礼しました御堂部長。お話の途中に」
「いや、雑談……だったから構わない。どうぞ」
 ふん。雑談、ねえ。
「すみません。あのね、レシピ、ちょっと訂正したいとこあってー」
「それでわざわざ? ありがとう」
 クリスマスにケーキを作りたいという相談に、桑原は親身に応じた。
 いくつかの検討の末、くどくなくてあっさり食べられて、調理器具を揃えなくてもケーキ型ひとつあれば簡単にできるということで、チーズケーキを作ることにした。
 初めは勝手に盛り上がる<オレ>に気圧されていた俺も、やり取りを聞くうちに結構その気になってくるもので、結局一緒に手伝うことになって、実は楽しみにしていたりする。
 クリスマスにいちゃいちゃとふたりでケーキ作りなんて、両親ではないがなんだかよさそうじゃないか。
「ごめんねー、よく確認したんだけどー。あとでメールするより、まだいたら直接のほうがいいと思って。よかったー」
「そんな、いいのに。もうお世話になりっぱなしで」
「何言ってるのー。お菓子作る人が増えてくれるとさー、俺も嬉しいのー……て、ごめん」
 失敗したら恥ずかしいから他の人には内緒にしててね、と言っていたから、御堂の前でお菓子を作ると言ったことをまずいと思ったらしく、桑原が声を潜める。
 というか、なんでまだ御堂がいるんだ。席を外せ。
「い、いいよ。御堂部長とも、その話してたとこだったから」
「は」
「そうなんですかー」
 せっかくずらした話題にまた戻ってきてしまって<オレ>は一瞬動揺するが、この流れなら仕方がないと密かに溜め息をつく。
「あの、クリスマスのケーキのレシピを、桑原さんに教えてもらって」
「お菓子作るの趣味なんです」
「ああ、そうなのか」
「いいですよねー、佐伯さんにケーキ作ってもらえるなんてー。お相手が羨ましー」
「え」
「なっ! 桑原さっ、なにっ言ってっ!」
 おおおお? 桑原、お前はやっぱり救世主か。
「あれ、違うの? 俺はてっきり、クリスマスはケーキを作ってびっくりさせちゃえ星、だと思ってたけど」
「星ってっ」
「もしかしたら一緒に作るのかなー、いいなー、ラブラブーとか」
「あー! あー! 桑原さん! もういいからっ!」
「照れなくてもー。ねえ御堂部長」
「へっ」
 桑原がぶち込んだとんでもない話題に呆然としていた御堂が、素っ頓狂な声を出す。
 高飛車な印象を抱かせていたかつての面影は、今や欠片も見当たらない。
「もしかして、御堂部長ならご存知なんじゃないんですか? 佐伯さんのお相手」
「お相手……」
「桑原さんっ」
「佐伯さん口固くてー。絶対話してくれないんですよ。よっぽど大事にしたいん」
「桑原さんんんんんん!!」
 止まらない桑原の口を手で塞ぐ。顔が熱い感覚がするから、きっと<オレ>は真っ赤になっているんだろう。
 人の疎らになったオフィスの端で唐突に上がった<オレ>の野太い声に、まだ退社していなかった社員たちもさすがに何事かと窺ってくる。
「んんんー。ぷはっ。分かった分かったー。このへんにしとくよー」
「もおおおおっ」
 <オレ>は会社での顔も忘れてもうすっかり素だ。
 桑原とはたまの飲み会で言葉を交わす程度で、こうしてじゃれ合うほどには親しくなかったはずだが、この何日かだけのやり取りのうちに、いつの間にか遠慮なしで接せられるように取り込まれている気がする。
 俺にしか見せない普段の顔を他人に見せるのは腹が立つところなのに、この男にはそういう感情が湧かないから不思議だ。
「あははー。俺まだ仕事残ってるんだよねー」
「じゃあ早く! 戻って!」
「佐伯さん怖いからそうするー。では御堂部長、大変お騒がせしてすみませんでした。失礼します」
「ああ……」
「じゃあねー佐伯さーん。よいクリスマスを~」
「ありがとうっ! お世話かけてごめんねっ! お疲れ様でしたっ!」
 鼻息の荒い<オレ>をものともせず、細長い指をひらひらさせながら救世主は去っていく。
 桑原。なんと礼を言えばいいか。ひょろっとした食えないやつなんて思って悪かった。この恩は一生忘れない。
「まったくっ……はっ! 失礼しました御堂部長! 変なとこお見せしてっていうか変なことになってっ」
「……いや」
 まだ語気の強い<オレ>とは逆に、御堂が力なく答える。まるで影を背負っているかのようにその表情は暗い。
 それはそうだ。佐伯くんにクリスマスのお誘いをしようとしたら、今まで推測の域を出なかった『お相手』の存在を不意打ちで実感させられたんだから。
 何も分かっていない<オレ>は、急にしょげた上司を訝しんで小首を傾げる。
 呆然。怪訝。暫し沈黙する<オレ>と御堂を、なんとも言えない妙な雰囲気が包む。
 今の会話でなにか不快にさせてしまったんだろうか。<オレ>は不安に思っている。大丈夫、不快にはさせていない。ただ、打ちのめされて瀕死なだけだ。
「あの、」
「佐伯くん」
「はいっ」
「私も、まだ仕事があるから」
「あっ、そうですねっ。お邪魔してすみませんっ」
「いや、声をかけたのは私だから」
 全く目線を合わせないまま、独り言のようにぼそぼそ言う。
 覇気を全く感じさせないこの男が、MGNジャパン商品企画開発部の長だなんて、誰が思うだろうか。
「では、よいクリスマスを……」
「はい、御堂部長も」
「ああ……」
「お、お疲れ様でした」
「お疲れ様……」
 しょぼーん。とぼとぼ。そんな効果音を、横に書き足してやりたい。
 さすがに少し、ほんの少し同情する。
 でもまあこれで、二十五日のクリスマス当日も迫ってくることはなくなったはずだ。
 ついでに<オレ>のことももう諦めてくれれば一挙両得だが、それはそれ、これはこれで、あの男は簡単には引き下がらないだろう。そんなやわな想いではないのは、同じ男に同じ想いを注ぐ俺だからこそよく分かっている。まだまだ警戒が必要だ。
「急にどうしたんだろ……あれ、っていうか、なんの用だったんだろ?」
 何も知らない、何も気付かない鈍すぎる半身が、執務室に消えていく御堂の暗い背にぼんやり呟いた。
 

──12月24日 月曜日(振替休日)──

 シンクの上に並んだ、今日の食卓のための材料たちを前に鼻息も荒く気合いの入った半身がかわいい。
「さて! 始めます!」
「はい」
 イブのディナーはシンプルに、ローストチキン、ホワイトシチュー、シーフードサラダ、パン、ある意味メインのチーズケーキと相成った。
 いつもの夕食とそれほど変わらないメニューでも、クリスマスのごちそうと思えば豪勢に見えてくるのがなんだかおかしい。
 午前中に買い出しに行って、昼のうちに仕込めるものを仕込んでおく。
 <オレ>は当日一気にばたばたするより、前日からやれることをしておきたいと言っていたが、せっかくの連休なのにいちゃつく時間が減るから却下した。
「じゃあ、お前はビスケットをその袋に入れて、これで叩いて砕いてくれる?」
「叩いて砕く」
 言われた通り、ビスケットをポリ袋に入れて、渡されたすりこぎで叩く。
 桑原と終始やり取りしていたのは<オレ>で、俺はレシピすら見ていないが、恐らくこれはケーキの土台にするんだろうと想像がつく。
「布巾の上がいいかな」
「そうだな」
 案外音が響いたから、布巾を敷いて続行する。
 単純にビスケットを叩いて砕くだけなんだが、結構楽しいかもしれない。
「粉々にしてね」
「ん」
 夢中になってきた。こうなったら、こなっごなのさらっさらにしてやる。
「よっ! さすがっ! 鬼畜王!」
 半身から掛け声が飛んで、ますます興が乗る。
 細かく砕いて、すりこぎを転がしてこれでもかと潰す。楽しい。
 <オレ>はというと、いつの間にかシチューの下準備を終え、買ったばかりの圧力鍋で加圧しようとしていた。
 その手際のよさはなんだ。惚れ直すだろ。
「あ、それくらいでいいよ。ありがと」
「そうか」
「えーっと次は、バターとビスケットを混ぜて、よく揉み込む!」
「ん」
 レンジで少し溶かしたバターを袋に入れて、すっかり粉になったビスケットに揉み込む。
「もっと?」
「うん。ここでよーく混ぜておかないと、できあがりがぽろぽろするんだって」
「ふうん」
 そうしてやっと揉み込み終えた時には、<オレ>はホワイトソースを作り鍋に加えて味の調整の段階まで進んでいて、さすがにぎょっとした。
「なに?」
「早い」
「ん? ああ、圧力鍋、便利だよなー」
「そういうことじゃなく……」
 日頃調理中そばにいても、ちょっかいを出すためだからあまり手際を見たことはなかった。
 いつの間にお前は魔法使いになったんだ。
「次はー、ビスケットを型に敷きつめる。オレも一緒にやる」
 このチーズケーキ作りのために唯一買った、角型のケーキ型ふたつそれぞれにビスケットを敷いていく。
 ふたつもあるのは、うまくできたら礼も兼ねて桑原に渡すつもりだからだ。角型にしたのもそのほうがプレゼントで渡しやすいから。
 救世主のためにもうまくでき上がるように、祈りを込めてスプーンでよく押し付ける。
「しっかりぎゅっぎゅってした?」
「した」
「よし。ビスケットはちょっと冷やすから、このまま冷蔵庫に……入るかな」
 そこまで考えていなかったらしい。いくつか中の食材を出して、なんとかふたつ収まった。
「ふう、よかった。次はローストチキン! はい、一個ずつ」
「ん」
 ローストチキンといっても、鶏の丸焼きじゃなく骨付きチキンを焼くだけだ。
 本当は丸焼きをするつもりだったが、実際スーパーで見た生々しい丸ごとの白いチキンは<オレ>には少しえぐかったらしくやめた。
 ハーブやら塩胡椒やらをすり込み揉み込みながら、俺は今日揉み込んでばかりだと思う。
 どうせ揉むなら違うものを揉みたい。
 さりげなく<オレ>の尻のラインを窺ってみるが、大きめのニットとエプロンに隠されていて、この角度からはよく見えない。
 くそ。並んで一緒に料理もいいが、なかなかちょっかいが出せないのがいやだ。
「よーし、こんなもんかな。あとはこのまま置いておく!」
「ん」
 手を洗い、ひとつのバットにまとめたチキンにラップをかける半身の尻にやっと手を伸ばす。
「んぎゃっ!」
「なんだその反応は」
「急に鷲掴みするからだろっ! なにしてんだ!」
「揉み込んでばっかだから。こっちも揉み込みたい」
「はああ? わっ、やっ、もう、やめろよ。まだやることあるから」
「ヤること?」
「お前今絶対カタカナで言ったろ。だめ。ほら、ちょっと洗い物したら、ケーキの生地作るぞ」
「じゃあ洗ってる間揉んでる」
「……」
 結局<オレ>は俺に甘い。さすがにここで変な気を起こそうとは思わない。意味を持たせず純粋に尻を揉む。
「……尻星人め」
「俺は尻が好きだ」
「宣言しなくていいです……」
「好きだ」
「んっ……バカ」
 耳元で囁いたいたずらに、律儀に反応するのがかわいい。
 片付けを邪魔しない程度にそっと抱きしめて密着して、首筋の匂いをかぐ。なんともいえない甘ったるい香りが落ち着く。
「くすぐったいから」
 とか言いつつ、解こうとせず照れ笑いしながら好きにさせる<オレ>がやっぱりかわいくて愛しい。
 なんでこいつはこんなにかわいいんだ。うっかり下半身が疼くだろ。
「はい終わり。生地作るぞー」
「キス」
「……もう」
 顔だけ振り向いて目を瞑って待つ<オレ>がかわいすぎてくらくらする。
 小さく触れたあと、唇全体を唇で軽く銜えてやわやわと揉み込んで、離してまた銜える。繰り返した五回目に<オレ>も同じことを返してきてつい熱がこもる。
「んっ」
 もっと深く唇を合わせたい。<オレ>を反転させて正面からきつく抱きしめる。
 舌を搦め捕ってゆっくり嬲ってやると、甘い鼻声を漏らしてしがみ付いてきた。
「ん、ん、ん」
 すっかり本気のキスを濃厚に交わす。えーと、俺たちは今何をしていたんだっけ。
「んはっ!あ、やっ、ちょっ」
「<オレ>……」
「あっ、あ、ちが、違う、違う! ケーキ! ケーキ作るから!」
「ん?」
 ああ、そうだった。
「つい」
「お前そのパターンばっかり!」
「お前が俺のテクニックにすぐ夢中になるから」
「なにがテクニックだバカ!」
 真っ赤になって、にやつく俺にそっぽを向けて意味不明にシンクを叩く。かわいいな。
「はいはい! クリームチーズいい感じに柔らかくなってますー!」
「落ち着け」
「おまっ、お前がっ、あんなキスするからっ」
「気持ちよかったか?」
「っ、うるさいバカっ。ケーキに集中しろ」
 ぺしっと腕を叩かれた。
「はいはい悪かった」
「もうっ」
 そんなにぷんぷんされたらまたちょっかいを出したくなるが、これ以上やったら確実に拗ねるから我慢だ。
「えーっと、オレはサワークリームあり作るから、お前はなしな」
「ん」
 あらかじめ出しておいたクリームチーズとバターをよく練り混ぜて、生クリームや薄力粉その他も加えてひたすら混ぜる。
 混ぜる程度の作業なら手際に差が出ないと思っていたが、<オレ>は合間にオーブンの余熱だのシチューをかき混ぜたりしたのに、<オレ>のほうが早く終わってさっさと型に生地を流し込んでいる。軽く屈辱を感じる。
「なんか怒ってる?」
「……別に」
「?」
 遅れて俺も生地を入れたところで、計ったようにオーブンの余熱が完了した。
「やったー、あとは焼くだけ!」
 引っ越す時に二段調理できる大きいオーブンレンジを買った。というか俺が勝手に買った。その時は<オレ>は怒っていたが、ほら、買ってよかっただろう。
「おっきいの買ってよかったなー。あの時怒ってごめんな」
 ふふふ。かわいいやつめ。
 片付けをして、ソファでコーヒーを飲みながら焼き上がりを待つ。
「焼けたら粗熱取って冷蔵庫に入れて、あとは食べるまでのお楽しみ!」
「できてからも手間だな」
「まあなー。まだ二時だから、よく冷やせてきっとおいしいよ」
「夕食は早めに済ませるぞ」
「そう?」
「ああ。そのあとのプレゼントが、楽しみで仕方ないからな」
「……ば、ばか」
 クリスマスプレゼントはお互い用意していない。特に欲しいものがなかったからだ。正確には俺は欲しいものがあったが、予算制限をされたから叶わなかった。
 だから半分冗談半分本気で、プレゼントはお前でいいとお約束を言ってみたら、頬を染めた半身が素直に頷いたから、否が応でも期待が高まる。
「あんまり、期待されても、あれだからな。そんな楽しみにしなくて、いい、から……」
「あれってどれだ?」
「あれは、あれ、だよ」
「ん?」
 こめかみにキスすると、びくりと肩が震えた。
「早くサンタこないかな」
「いい子に、してたら、な」
「分かった。いい子にしてる」
「っ」
 ちゅっと一瞬唇を奪ってすぐ離れる。恥ずかしそうに唇を噛んで俯く顔がかわいくてむらむらする。
「そんな顔されたら、悪い子になるだろ」
「もう……十分悪い子だよ」
「それは大変。更生します」
 おどけて言うと、<オレ>がかわいく睨んできたから、悪い子を抑えるのが大変だった。

 頃よい時間までふたりでDVDを見たりしてから、<オレ>はチキンを焼いて、俺はサラダを作って、いよいよイブのディナーが完成した。
 LED照明を暖色にして明るさを落とし、テーブルには金曜の仕事帰りに買ってきた造花のポインセチアを飾り深い色の赤と緑のランチョンマットを敷けば、それだけでクリスマスの食卓感が強まる。
 そしてとどめはミニツリーだ。組み立てて飾り付けておいたものをテーブルの脇に移動させて明かりを点すと、すっかりロマンチックな雰囲気満々だ。
「ちょっと気合入れすぎ?」
「こんなもんだろ。もっと派手にしたっていい」
「えー、なんか恥ずかしいよ」
「ロマンチックすぎて?」
「ロマンチックすぎて」
 そういえば、こいつはそういう雰囲気が苦手だったな。なら、もっとこってこてに演出すればよかった。失敗した。
「はい、えーと、なんて言えばいいんだ?」
「んー、ハッピークリスマス?」
「おおいいね。では! ハッピークリスマス!」
「ハッピークリスマス」
 シャンパン、は高かったから、スパーリングワインで乾杯する。
 今度はパンも作りたいとか、小さい頃のクリスマスの話をしながら、ふたりで作った食事を味わう。
 いつもの食卓のはずなのに、なぜか時々意味もなく胸がしめ付けられるのは、クリスマス効果のせいなんだろうか。
 一年のうちのただの一日なのに、ふたりで過ごす幸せなクリスマスというスパイスが、あたたかくてくすぐったくて切ないような心理を働かせる。
 それは半身も同じらしく、その度に見つめ合って、手を握り合った。

「お待たせしました!!」
 先に食事の片付けを済ませてしまって、いよいよ本日メインのチーズケーキがお目見えだ。
「どれくらい?」
「ん、これくらい」
「こんだけでいいのか?じゃあオレは多めー」
「コーヒー淹れるぞ」
「うん。ありがとう」
 冷蔵庫で冷やした二種類の四角いケーキをそれぞれふたり分切り分けて、残りはスティック状にカットする。
 まだ食べてはいないが、見た目はうまくできてるから、明日ちゃんと桑原に渡せそうだ。
「同じほうから食べようよ」
「どっちがどっちだ」
「こっちサワークリームあり。こっちからにしよっか」
「ん」
「はー、よし、いただきます!」
「いただきます」
「「…………!!」」
 口に運んで、咀嚼して、俺と<オレ>、同時に同じ反応をした。
「んなにこれ!」
「なんだこれ」
「すーっごいおいしい!!」
「売り物みたいだ」
「ほんと! 売ってるこれ! 高いケーキ屋さんで売ってるよ!」
 チーズの濃厚な味とサワークリームの爽やかな味がバランスよく調和して、しっとりしたビスケット生地がほのかな甘さを加え、驚くほどにうまいチーズケーキに仕上がっている。
 特別なことは何もしていない。全てスーパーで売ってる材料で、クリームチーズは少し高いのを選んだくらいなのに、ここまでうまいものができるのか。
 ふたりで作ったという意識のせいだろうか。
 いや、欲目がなくとも、とにかくこのチーズケーキは信じられないほどにうまい。
「サワークリームなしのもすごいおいしい」
「……あとどれくらい残った?」
「え。桑原さんにあげるの外したら……スティック四本くらいしかないよ」
「よんほん……」
「気持ちは分かるけど、明日に残しておこうよ。明日も食べたい」
「……明日も作る?」
「んー、時間がないよ……」
 ああ、こんなにうまいなら、もっと大きいやつを作ればよかった。
 数日前に戻って、ケーキ型を買う<オレ>に教えてやりたい。ものすごくうまくできるから、もっと大きいのを買えと。
「誕生日にさ、また作ろうよ」
「ん? おお、そうだな。そうしよう。そうする」
 そうだ。来週は俺たちの誕生日じゃないか。なんていいタイミングだ。
 またふたりでいちゃいちゃと作ればいい。
「あー、ほんっとおいしー」
「ケーキ作りの天才なんじゃないか」
「そうかも。今からパティシエになろっか」
「ああ。ふたりの店を出そう」
「シェ・サエキ」
「ガトー・カツヤ」
「それ克哉がおいしそう」
 そんなくだらないことを笑い合って、あっという間にチーズケーキはなくなった。

 街の華やかなイルミネーションを一緒に見ることはできないが、ふたりでいられるなら、ミニツリーの電飾だって立派なイルミネーションだ。
 片付けも全て終えて、ソファで<オレ>を後ろから抱きしめてツリーの瞬きをぼんやり眺める。
 途中で母親から、父と作ったお菓子の家の写真が何枚も添付されたメールがきて、両親には適わないとふたりで苦笑した。
 食事もケーキもこの雰囲気も、何もかも心の底から満足だ。
「あれだと桑原さんも喜んでくれるかな」
「そうだな。ああ、明日俺が渡してもいいか」
「ん? いいけど……なんで?」
「心から礼を言いたい」
「はは。そんなおいしかったのか」
 もちろんそれもあるが、なんたって救世主だ。この穏やかなイブは、桑原のおかげと言っても過言じゃない。
「来年はお前の好きなモンブランに挑戦してみようかな」
 来年。
 そうか。俺とお前は、来年のクリスマスも一緒に過ごせるのか。
「それまでいっぱい練習して……んっ」
 顎を捕らえて振り向かせて、唇を押し付ける。優しく舌を絡めて、溢れた想いを口移しで注ぐ。
 突然のキスに戸惑いながらも、<オレ>も同じく返してくれる。
 お前が好きだ。愛してる。
「ふ……」
「来年も、俺たちは一緒だな」
 急なキスの意味が分かって、<オレ>がはっとしたあと、静かに微笑む。
「うん……当たり前だろ」
「ああ」
 また熱くキスを交わすうちに、体を返した<オレ>が正面から跨がってきて、<オレ>のリードで舌が使われる。
 弱い部分を知り尽くした半身の舌先が巧みに俺を翻弄して、柔らかな快感が全身を満たす。
「んう」
「ん……サンタが、きたのか?」
「いい子に、してた?」
「ああ、それはもう、いい子の見本みたいに」
 嘯くと、<オレ>がふふっと笑う。
「じゃあ……プレゼント、あげないと」
 思わず溜め息が漏れるほど、淫靡で妖艶な微笑みで囁いた<オレ>が、甘い甘いくちづけを与える。
 華やかなイルミネーションも、レストランの豪華な食事もなくていい。
 お前と見る小さな煌めきと、お前と作るあたたかい料理があれば、それで十分幸せだ。
 何よりも、お前がいればそれでいい。
 お前がそばにいて、一番欲しいものを与えてくれるなら、他には何もいらない。
 祈りを捧げる聖なる夜に、俺が一番欲しがっているものを、愛しい半身が一晩中与えてくれた。
2012.12.30