橋の上には太陽 △
橋の上の谷*→真っ暗だと眠れない



「ふふ」
 思わず声を出して笑ってしまった。さすがに起こしてしまうかもと一瞬肩を竦めたけど、全く気付かず無防備にすやすやと眠る<俺>に、またさらに目尻が下がって口角が上がる。
 なんとなく目が覚めて、時計を見ると深夜とも早朝とも言えない時間だった。寝直そうとしても、タイミングよくすっきり目覚めてしまったみたいでなかなか眠りに入らないから、目の前の<俺>の顔を観察することにした。
 起こさないようにそっと体を離して、シーリングライトのリモコンで常夜灯の明るさを少し上げて、じっと見つめてみたり、頬や鼻先を押してみたり、起きる気配がないのをいいことに、さっきから好き勝手している。
 オレと<俺>は、当然ながら同じ顔だ。一切の違いがないパーツで、寸分違わず同じく組み立てられた同じ顔。それなのに、不思議と顔付きははっきりと違う。
 ぼんやりしたオレの顔と違って、<俺>は凛々しくてかっこいい、と思う。自分と同じ顔をかっこいいなんて恥ずかしい話だけど、だって顔付きは違うからと誰に対してか分からない言い訳をしながら、かっこいい<俺>の顔に毎日ひそかに見惚れてる。
 でもそんなかっこいい<俺>の顔にも、前は唯一の欠点があった。眉間にできたしわだ。
 <俺>はぼんやりしている時でさえ、眉根を寄せたしかめっ面になるのが癖だった。そのせいで眉間にはうっすらとしわの跡が付いて、跡が深くなるからもうそんなにしかめっ面するなと何度言ってもなかなか直らなかった。
 それでもいつの間にか、<俺>はしかめっ面をすることがなくなった。考え事をしている時に自然と眉根が寄るのは別として、普段家でテレビを見ながらとか、本を読みながらとか、ソファでぼーっとしながらとか、そういう時に<俺>が難しい顔をしているのは多分もう半年以上は見ていない。
 ぼんやりしている時は本当にぼんやりした顔をしていて、たまに薄く口が開いているくらい油断している。我に返った<俺>が、オレに気付かれないようにこっそり口を閉じているのを、笑いをこらえて気付かないふりをしてやるのも大変だ。
 常時あったしわの跡も今ではきれいに消えてしまって、オレと同じ色素の薄い眉の間には、滑らかな皮膚がぴんっと張られている。
「ん……」
 調子に乗って眉間をぐいっと押してみると、<俺>が小さく呻いて身じろいだ。慌てて指を離して、ごめんごめんと頭を撫でてやると、<俺>はひとつ吐息を漏らして枕にすり寄ると、また静かな寝息を立てる。
 かわいい。子供みたいな素振りに、きゅんとする。ぎゅっとして、ぐりぐりっとしてやりたい。
 <俺>は、佐伯克哉がふたつに別れたあの日から、ずいぶんと張り詰めていたんだと思う。
 自分で選んだこととはいえ、傷を抱えたまま闇の底でひとり眠るのは、きっと心細かったことだろう。
 ──真っ暗だと眠れない。ふたり暮らしを始めた時、そう言った<俺>を子供みたいだと思っていた。けど、暗闇は闇の底を思い起こさせるからいやなんだとある日唐突に気付いた時には、分かってやれていなかったオレが悔しくて、ひそかに苦しんでいた<俺>が切なくて、胸が張り裂けそうでどうしようもなかった。
 傷も痛みも共有して、闇を抜けて、ふたりがふたりでいられるようになってからも<俺>は無意識に気を張って、それが眉根を寄せたしかめっ面として表れていたのかもしれない。
 ふたりで幸せに過ごすことで、黒く凝り固まった<俺>の鎧が徐々に剥がれて、やっとなんの気負いもない安心しきった自然な姿のままでいるようになれた。
 だから、しわ云々じゃなく、<俺>が眉間に谷を作ることがなくなったことは、オレにとってこれ以上ないほどの喜びなんだ。
「<俺>」
 くちづけて、半身の存在を囁く。
 初めて対峙した時、この半身は偉そうで、意地悪で、ニヒルで、それなのに滾る情熱をたたえたまなざしをしていて、態度とは裏腹の瞳の力強さに戸惑った。
 今にして思えば、冷たい態度は照れ隠しで、熱いまなざしは隠し切れないオレへの想いだと分かる。
 今でも<俺>は素っ気無かったり意地悪だったりするけれど、それは<俺>に分けられた根本的な性格によるものだから、出会った頃のものとは意味合いが違う。
 あの頃は、己の半身がこんなにバカで、エロオヤジで、わがままで、甘ったれで、かっこよくて、かわいくて、愛しいなんて、思いもしなかった。
 よくよく考えると、すぐ下半身下半身のバカな甘ったれのどこが『かっこいい』に当てはまるのかいまいち分からなくなるけど、どんな<俺>であろうとも、それがオレと魂を分けた<俺>であるならば、オレにはかっこよく見えて愛しく思えてしまうんだから考えるだけ時間の無駄だ。
 オレも十分バカだなぁと苦笑いして、もう一度小さく<俺>の唇に触れる。柔らかくて、あたたかくて、なんだかほっとして、やっととろりと眠気が下りてきた。
 <俺>の体を包むように腕に抱き直して、優しく頭を撫でる。さらさらとてのひらを滑る髪の感触が心地いい。
 ふたりでいる時は、もっと油断していい。こんなやつじゃなかったのにと、呆れるくらいに全てを晒してほしい。自分自身の前で、着飾る必要なんてないんだから。
 もっとバカで、もっと甘ったれで、もっとエロオヤジ……はほどほどにしてもらいたいけど、そのままの、無垢なお前でいればいい。どんなお前だって、オレは。
「愛してるよ、<俺>」
 なにがあっても、どんなになっても絶対に変わらない想いを<俺>にうんと甘く囁いて、眉間にくちづけまたふたり穏やかな眠りに就いた。
2013.06.02