道中 △

 車窓を流れる山肌の緑。青い空。白く照る太陽。目に映る全てが眩しい。ああ、夏だなって、しみじみする。
 今日は陽射しのわりには気温がそんなに高くないから、エアコンじゃなく窓を開けて風を入れたいとこだけど、暑い、と一蹴されるのは分かりきってるから言わない。
 ドライブがてら遠回りしながら何度か寄ったサービスエリアでも、ほんの一瞬外に出ただけで、あとは冷えた車の中でオレが買ってきたアイスクリームをひたすら食べてた。
 そのくせ、今年の夏はバリにしようかなんて南国リゾートの提案をするんだから、なんだかよく分からない人だ。
「──だったんだが、スモーキーな樽香と酸味を含んだ果実がよく溶け込んだ味わいはまさに逸品で、国内にこんなワイナリーがあったのかと衝撃すら感じて──」
 そんなことをオレが密かに思ってるとも知らず、運転席の孝典さんは朝からずっと喋りっぱなしだ。
 多分本人も無意識なんだろう。何かしていないと落ち着かない。ドライブに集中するだけじゃ、いてもたってもいられない。運転しながら他にできることといえば、話をすることくらいだから。
 いつでも冷静沈着な御堂部長が、ついお喋りになるくらい緊張してる。そんな姿を見られるのは、きっとオレくらい。
 そんなに緊張しなくてもいいのに。そう言ったところで、こればっかりはどうしようもない。やっぱりオレだって、緊張してるから。
「……少し、喋りすぎているな」
 『私が感動したワイナリー』について語り続けていた孝典さんだったけど、不意に冷静になったのか、話をとめてぼそりと言う。恥ずかしそうな響きがおかしい。
「そんなことないですよ」
 つい笑い混じりで返すと、わざとらしく咳払いされた。
 拗ねた様子がかわいくて、耐え切れずふふっと笑うと、赤くなった孝典さんが大きく溜め息をつく。
「どうにも、情けなくて駄目だな……」
 しょんぼりさせてしまった。
 いけない。孝典さんの今の心境を考えれば、もっと気遣うべきだった。
「笑ってごめんなさい」
 思案する横顔にそっと言うと、くすりと笑って自嘲する。
「いや、笑ってくれて構わない。自分でもいっそ笑えてくる。こんなになるとは思わなかった」
「そんな」
「イメージでは、スマートに、堂々としているはずだったんだが」
「イメージ、ですか?」
「ああ。颯爽と、凛々しく、この上ない好青年が現れるはずだった」
 ちょっと想像してみる。
 車を停める。オレが先に降りる。促して孝典さんが車から降りる。初めまして、と頭を下げる。顔を上げる。初めての対面。
 夏の陽射しに負けないほどの、光り輝く力強いオーラを纏った、でも少し緊張して頬を染めるあなた。
 想像なのに、思わずぽっとした。
「オレのイメージでは、十分、この上ない好青年ですよ」
「それは君の欲目というものだ。今の私は、頼りなさげで弱々しい、ただのおっさんだ」
「もう。そんなこと言って」
 砕けた言い方に小さく笑う。本人は至って真面目に、事実だろう、なんて言っている。すっかりナーバスだ。
 昨日までは、緊張しつつも平静でいたように思うんだけど、いざ当日となると、いろいろ考えるところがあるらしい。
 孝典さんですらこうなんだから、オレの時はどうなるんだと思えば、今から頭を抱えたくなる。
「孝典さんはすてきです」
 オレの時のことはひとまず置いといて、しょんぼり孝典さんを発奮させるべく、この場はおだて作戦に出てみる。
「おだて作戦か」
 ばれてた。ふんっと鼻で笑われた。でも怯まない。
「すてきです。かっこいいです。いつでも堂々と前を向いて、強くて、凛々しくて、惚れ惚れします」
「ふうん?」
「容姿には欠点一つない上、三十代で大企業の部長っていうすごい人で、努力家で、冷静で、優しくて、何をしても優雅で、スマートで、えーっと、んー」
「克哉」
「あっ、笑顔がかわいい。そう、たまに子供みたいでかわいくて、意外と甘えん坊で、結構わがままで、ちょっぴり意地悪で、すごくやきもち焼きで、あとー、あー、語ると長くて、案外自由人で、困った人で」
「……克哉」
「あれっ? おだてになってないや。えーっと、とにかく! 孝典さんはかっこいいです!」
「克哉」
 孝典さんが噴き出す。つい余計なことまで言ったけど、しょんぼり顔が一転、おかしそうに声を立てて笑ってるからいいか。
 耳を赤くして、ちょっと困ったような顔で肩を揺らす孝典さんに、オレも肩を竦めて笑った。
「まったく、褒められたんだか貶されたんだか」
「あっ、貶してなんかないですよ!」
「そうか? ずいぶんと言われた気がするが?」
「う……」
 やっと本調子を取り戻したのか、顎をしゃくって意地悪く言う。口ごもるオレに、にやにやと笑って。
 ほら、こんなところが、困った人だ。
「君も言うようになった」
「ご、ごめんなさい……」
「いや、それでいい」
 まだ残る笑いを治めて、孝典さんが息をつく。一瞬だけオレに目線を寄越して前を向き直したあと、ハンドルを握っていた右手をオレの手に重ねた。
「そうだな。これからもずっと、そうでいてほしい。君が、私の全てをよく見ていてほしい。いいところがあれば褒めてくれ。悪いところがあれば、遠慮なく叱ってくれ」
「叱るだなんて」
「君の言葉が一番効く。私の手綱を、君がしっかり握っていてほしい」
 握られた手に、力がこもる。オレも、強く握り返す。
 少しの沈黙の間、孝典さんの横顔をオレはじっと見る。この助手席から、もう何度も見ている、あなたの横顔。
 なぜかふと、付き合い始めたばかりの頃の、そう、キクチでの最後の日、迎えにきてくれたあの時の横顔を思い出した。
 まだお互いにぎこちなかった、あの頃。
 あの頃のオレは、そしてきっと孝典さんも、こんな日がくるなんて思いもしていなかった。
「克哉」
 静かに、孝典さんがオレを呼ぶ。はい、と小さく返事をする。
「私の人生は、生そのものは、もう君に預けている。私の全ては、君のものだ。そして君の全ても、私のものだ」
「……はい」
「幸せも、禍も、これから起こる全てのことを、二人で分かち合う。私たちは、そう決めた」
「はい」
「私を愛しているか?」
「はい。もちろんです。心から、あなたを愛してる」
「子供っぽくて嫉妬深い、困ったやつでも?」
「っ、は、はい。それでも。どんなあなたでも」
 前を向いたまま微笑んだ孝典さんが、こくりと頷く。
「私も、君を心から愛している。どんなことがあっても、一生、終生、絶対に変わらない」
「……はい」
 零れそうな涙を、歯を食いしばって目の奥に押し込める。
 オレたちは、愛し合っている。心から。強く。ずっと一緒にいたいと、生涯を添い遂げようと誓った。
 男同士だとか、世間的にとか、そんなことどうでもいい。──オレたちがそう思っていても、それでは済まない時も、これから沢山あると思う。
 理解されないこともあるはず。オレたちがいやな思いをすることも、誰かにいやな思いをさせることも、あるはず。
 それでも、あなたと一緒にいたい。この先ずっと、あなたと共に歩んで行きたい。何を言われても、何があっても、オレたちは離れない。
 気持ちの繋がりだけじゃなく、正式な家族として、二人で一緒に生きていく。そう決めた。
「それを君のご両親にしっかり伝えて、ご承諾いただかなくてはならない。これだけは、理解されなくてもいいという問題じゃない」
「はい」
「緊張している場合ではないな。しょげてなどいられない」
 ──お前が選んだ人なら。お前が決めたことなら。お父さんとお母さんは、それでいい。
 会ってほしい人がいるとの喜ばしい知らせとともに、突然告げられた一人息子の真実に、どれだけ驚いたことだろう。どれだけ戸惑ったことだろう。
 それなのに、何も言わず、あたたかく受け入れてくれた両親。親の愛というものを、改めて痛いほどに感じた。
 大切に、愛情深く育ててくれた同じぬくもりを、オレたちは次に渡すことはできない。仕方がないけど、すごく残念なことだ。
 けれども代わりに、愛する人に全て注ぐから。ちゃんと渡し合うから。お父さんとお母さんがくれたものは、決して無駄にはしないから。
 この御堂孝典という人と二人で、どんな時でも忘れることなく、大切に抱えて生きていくから。
 だからどうか、安心して見守ってほしい。
「大事な大事な息子さんを、嫁にもらおうとしているんだからな」
「……孝典さん」
「なんだ」
「……いえ」
 つまりはそういうことだとはいえ、ちょっとふざけた言い回しに、じんわりした切ない気持ちがしおれていく。
 照れ隠しだっていうのは分かるんだけど、にしたって、もう少し、別の言い方ってもんが。
「怒ったか?」
 にやにやしてる。もう。この人は。
「別に。怒ってません。ただ、あーあって、思いました」
「そうか」
 拗ねたアピールの口調で言って、握っていた手を放り投げるように離しても、孝典さんの目尻は下がったままだ。
 意地悪をして、オレの反応を楽しんで、くつくつと笑う。そんなところもかわいくて見たいから、オレもわざわざこの人が望むような反応を返してしまう。
 甘えて、甘やかして。うっかり両親の前でそんなやり取りをすれば、おやおややれやれって呆れられるだろうから、気を付けておこう。
「では、拗ねさせたお詫びに、おだててやろう」
「なんですかそれ」
 拗ねた顔を作っていたのに、つい笑ってしまった。
「君のいいところを挙げていくぞ。そうだ、君のご両親にも、私が君のどんなところが好きなのかお伝えする必要もあるから、再確認も兼ねてだ」
「ふうん? じゃあ、いい気分にさせてくださいね?」
「もちろん。君のいいところは沢山あるぞ」
 そう言って、ますますにやりと唇の端を上げる。
 ああ、ものすごく、いじめっ子の顔。何を言うのか、もう分かった。
「いくぞ。まずは、淫乱で、従順で、貪欲で、」
「孝典さんんんっ!」
 やっぱり。
 ほんと、この人ったら。
 って思っちゃうオレも、大概だなぁ。
「締まりがよくて、乳首がピンクで、」
「……それ、ほんとにちゃんと両親の前で言ってくださいね?」
 淀みなく次から次へと色付いた言葉を流す孝典さんに冷たく言いながら、今インター降りますと両親にメールを送った。


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2013.07.18